自分は何のために生きているのか?
なぜ生きていかなければいけないのか?
その答えを私はずっと探していました。
そんな中で、さだまさしさんの「いのちの理由」という歌を聴いて、
『生きる意味』のヒントをもらえたお話をしたいと思います。
生きる意味のヒントをくれた「いのちの理由」という歌
なぜ辛く苦しい人生を生きていかなければならないのか?
生きる意味ってあるのか?
という答えを、私はずっと探していました。
『生きる意味』として、書籍・テレビ・ラジオ・ネットなど様々なメディアで語られている
生物学や医学など科学的な「生物として種をつなぐため」というあまりにも冷淡な答えや、
スピリチュアルや宗教的な「魂を磨くために生きている」という証明のできない答えに納得がいかず、
何か納得できる答えはないかと『生きる意味』について、いつもアンテナを立てていました。
そして、そんなある日、
出先で立ち寄った喫茶店の有線放送から流れてきた歌に耳を奪われました。
その歌が、さだまさしさんの『いのちの理由』という歌です。
引用:さだまさしオフィシャルyoutubeチャンネル
『いのちの理由』 作詞・作曲・歌 さだまさし
私が生まれてきた訳は、父と母とに出会うため
私が生まれてきた訳は、きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は、友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は、愛しいあなたに出会うため
春来れば、花自ずから咲くように
秋くれば、葉は自ずから散るように
しあわせになるために、誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは、喜びの実が実るように
私が生まれてきた訳は、何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は、何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は、何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は、何処かの誰かを救うため
夜が来て、闇自ずから染みるよう
朝が来て、光自ずから照らすよう
しあわせになるために、誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの海の向こうから、喜びが満ちて来るように
私が生まれてきた訳は、愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は、愛しいあなたを護るため
引用:LYRICFIND
この歌を聴いて『生きる意味』のヒントをもらえたような気がしました。
まず「いのちの理由」を聴いて感じた事
この『いのちの理由』という歌は、さだまさしさんらしい『愛』を題材にした歌です。
1番の歌詞では、
「親・兄弟・友達・恋人と出会うために生まれてきた」
と、大切な人達と人間関係を作るために生まれてきたと語られていて、
2番の歌詞では、その人間関係の中で
「傷つき傷つけられ、救い救われるため」
と、人間関係の中で起こる苦しみや喜びにも生きる意味があると語られています。
そして、サビの部分では
「しあわせになるために誰もが生まれてきたんだよ」
と語られ、
最後に、
「私が生まれてきた訳は、愛しいあなたに出会うため、愛しいあなたを護るため」
と締め括られています。
私は、何か苦しい事があると「こんなに苦しいのに、なぜ生きていかなければいけないのか…」と眠れないほど悩みます。
その苦しみは、会社や家族や友人の中での人間関係がほとんどの原因を占めています。
この『いのちの理由』の1番の歌詞を聴いた時には、
「家族も友達も悩みの種でしかないのに…」
と思い、
2番の歌詞を聴いて、
「傷つき傷つけられるから苦しいんだし、人間関係で救われた事なんか無いし…」
と考え、
「綺麗ごとばっかり語ってんじゃねーよ…」
とムカつきながら聴いていましたが、
最後の
「私が生まれてきた訳は、愛しいあなたに出会うため、愛しいあなたを護るため」
という歌詞を聴いた時に、何か心に引っ掛かるものを感じました。
「いのちの理由」を聴いて感じた『生きる意味』のヒントとは?
歌の途中までは、半分ムカつきながら聴いていたのですが、
最後の
「私が生まれてきた訳は、愛しいあなたに出会うため、愛しいあなたを護るため」
という歌詞を聴いた時に、
「責任」
という言葉が頭に浮かんだのです。
私は、親や兄弟とはケンカばかりで上手くいっておらず、人間嫌いの私には友達も居ません。
嫁とも夫婦喧嘩が絶えません。
でも、死にたいほど悩み・苦しみ生きていく事が辛くなって、
生きるのを諦めようとした時に、頭に浮かぶのは家族が悲しむ姿です。
私が居なくなって悲しむような友達は元々居ませんし、仕事も私の代わりはいくらでも居ますので、キッチリ引き継ぎをすれば迷惑はかかりません。
でも、いくら仲の悪い親や兄弟でも、私が命を絶てばきっと悲しむでしょうし、
ケンカの絶えない嫁でも、私が居なくなれば寂しがるでしょうし、生活も苦しくなるはずです。
私が子供という立場で生まれてきた以上、親を悲しませる訳にはいかない「責任」と、
こんな私に一生を委ねてくれた嫁に対する「責任」を放棄する訳にはいかない
と、思ったのです。
この歌を聴くまで私は、自分個人の『生きる意味』を本やネットで一所懸命探してきて、納得のいく答えが見付かりませんでした。
でも、この歌を聴いて、自分のためではなく自分以外の人のためにも『生きる意味』がある事を初めて考えました。
もちろん、これだけで180度考え方が変わったわけではなく、
私が消えてしまえば、
「親や兄弟はホッとするんじゃないだろうか…」
「私という邪魔者が居ない方が嫁は新しい人生を謳歌できるんじゃないだろうか…」
という考えが何度も頭に浮かびますが、
自分のためじゃなく自分以外の人への「責任」として『生きる意味』があるというのは、目からウロコのヒントになりました。
「自分が消えても悲しむ人なんか居ない」という人へ
責任としての『生きる意味』なんて、お子さんがいらっしゃる方には当たり前の考え方だと思いますが、
『生きる意味』が見いだせず苦しんでいる人達みんなが子供を持っているわけじゃありません。
「自分が消えても悲しんだりするような人なんか居ないよ」
「自分は誰にも責任なんか無い」
という人達もたくさんいっらしゃると思います。
でも、考えてみて下さい。
未来がわからないからこそ『生きる意味』が見出せないんじゃないですか?
この先は、必ず良いばかりが続くと絶対に保証されていても『生きる意味』が見出せないですか?
未来がわからないんなら、もしかしたら今日がどん底で明日から人生が上向いて、
『生きる意味』を見出せる事が待っているかもしれません。
もしかしたら、あなたにしか守れない人に明日出会うかもしれません。
『生きる意味』を見出せる責任の対象は人間とは限りません。
もしかしたら、死にかけている子猫を見付けて、その小さな命をあなただけしか救ってあげられないかもしれません。
今これを読んでる時点では「悲しむ人なんか居ない」という状況でも、
明日には「悲しませる訳にはいかない」という存在が現れるかもしれません。
「そんな上手くいくわけないよ」
と思うかもしれませんが、未来は誰にもわからないんですよ。
明日じゃないにせよ、来週か…来月か…来年か…
『生きる意味』を見出せる存在に出会えるかもしれない未来に、
期待する事にも『生きる意味』があるのではないでしょうか?
まとめ
ネットで『生きる意味』と検索すると、たくさんの答えがヒットしますが、
私には納得できる答えが見付かりませんでした。
しかし、この歌を聴いて自分が『生きる意味』として考えていたのは自分自身の中だけの事で、
自分だけではなく自分以外の要素にも『生きる意味』を見出せるというヒントになり、視野が広がりました。
私自身もまだ『生きる意味』を確定できた訳ではありませんが、これからは自分自身だけではなく、自分以外にも視野を広げて探していけます。
『生きる意味』として、今回お話した私の視野だけではなく、さらにもっと視野を広げてみると新たな発見があるかもしれません。
お互いに『生きる意味』が見付かるまで、諦めずに探してみましょう!